中風の人のいやしにおけるイエス様の質問は何を意味するか?

マタイ9:1からの中風の人の癒しについて。
イエスは、律法学者たちに対する質問として、中風の人に「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか、と尋ねた。

【新改訳改訂第3版】
マタ
9:1 イエスは舟に乗って湖を渡り、自分の町に帰られた。
9:2 すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された」と言われた。
9:3 すると、律法学者たちは、心の中で、「この人は神をけがしている」と言った。
9:4 イエスは彼らの心の思いを知って言われた。「なぜ、心の中で悪いことを考えているのか。
9:5 『あなたの罪は赦された』と言うのと、『起きて歩け』と言うのと、どちらがやさしいか。

イエスの質問に対して、どちらかを選ぶのは誤っている。「あなたの罪は赦された」と言う方が難しいと考える人が多いようだが、それは誤っている。
イエスの質問は、どちらかを選ばせるためになされているのではなく、神の権威について考えさせるためのものである。
この質問の意味を理解するためには、実際に自分自身がこれらのことばを言う場面を想像してみればよい。
まず、自分が「あなたの罪は赦された」と言う場面を想像してみる。果たして自分にそんなことができるだろうか、自分は罪を赦すことができるだろうか。できないのである。なぜなら、自分はただの人間であり、罪を赦す権威を持っていないからである。罪を赦す権威を持っておられるのは神お一人だけである。
次に、自分が「起きて歩け」と言う場面を想像してみる。果たして自分にそんなことができるだろうか、自分は中風の人を起き上がらせることができるだろうか。できないのである。なぜなら、自分はただの人間であり、ことばによって中風を癒す権威を持っていないからである。ことばによって中風を癒す権威を持っておられるのは神お一人だけである。
このように、罪を赦すことも、ことばによって中風の人を癒すことも、両方とも人間には及びもつかない神の権威に属する行為であり、単なる人間がどちらかを易しいとか難しいなどということのできないことだということが分かる。
イエスは、中風の人を起き上がらせた。それはイエスが神の権威を持っていること、すなわち神ご自身であることを示しているのである。