不適切な勧め

日本の諸集会において見られる、特にある程度の年齢になった信者の子供に対しての声掛け「そろそろ従ったらいいんじゃないですか」「バプテスマ受けたらいいんじゃないですか」というものがある。 教理的には、人は信じて救われたならば聖霊の働きによって自…

死と復活のパラフレーズ

・自分の十字架を負う ・自分を捨てる ・肉的なものを捨てる ・地上的なものを捨てる ・この世のものを十字架にかける ・この世に対して十字架にかけられる ・死と復活 ・自分のいのちを憎んでいのちを得る ・いのちを捨てて永遠のいのちを得る ・イエス・キ…

イサクを捧げるアブラハム 創世記22:1~:19

創世記22章において、神がアブラハムに対して、ひとり子のイサクを全焼のいけにえとして捧げるように命じた、という記事が記されている。この記事に対する典型的な誤解は、神が子どもを全焼のいけにえとして捧げることを命じるのは、聖書の他の箇所と矛盾し…

七つの教会と時代区分

黙示録の七つの教会が七つの時代区分に対応するという解釈に感心しないのは、やはり、それが他の聖書箇所から明確に根拠づけられないというのが大きいと思う。 なぜ明確に根拠づけられていないと判断するかと言うと、七つの教会については色々と黙示録におけ…

引き止めるもの

第二テサロニケ2:7で出てくる「引き止めるもの」は、集会では通常、聖霊のことだと解釈されています。しかし、聖霊を表すということの根拠について、私は納得のいく説明を聞いたことがありません。 この「引き止めるもの」を聖霊と解釈するのは、患難時代…

水と暗闇の中から生まれ出る

創世記の最初の部分で世界が創造された時、地はかたちがなく(茫漠として)、やみが大いなる水の上にあったと記されている。注目すべきは、神が「光あれ」という前に、すでに「やみ」と「水」は存在していたということである。神は世界を創造するときに「光…

厳密な終末論(をはじめとする聖書解釈)を求めて

最近の関心はもっぱら終末論です。私の属している群れは患難期前再臨・前千年王国を信じている人がほとんどで、絶対的な真理とみなされています。聖書の中にはいろいろなトピックがあり、あるトピックは多少の考え方の違いが許容されることもありますが、こ…

集会における服装などについて

“不自然な”御霊の動き上のリンクはカルバリーチャペルの牧師さんのサイトにつづられた文章。 反体制的なヒッピーたちを信仰に導いたチャック・スミスという牧師について触れられているが、その中の次の記述が目に留まった。 牧者チャック・スミス本人は、ヒ…

愛と義の両立という誤った発想について

愛と義については、車の両輪のようなものだと言われることがある。愛と義は両方がそろってあることが大事なのであり、どちらか一方に重きを置きすぎるのは良くないという意見である。 しかし、「どちらか一方に重きを置く」というようなことが可能なのだろう…

神に後悔はあるか?

第一サムエル15:11には、主のことばとして次のような記述がある。 わたしはサウルを王に任じたことを悔いる。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。 しかし、同じ15章の29節では、サムエルはサウルの罪に対する報いの宣告の中で、次の…

ヨナタンの罪と元凶としてのサウル

第一サムエル14章は、サウルの息子ヨナタンがペリシテ人を打ち負かし、戦争全体の帰趨をそれによって決してしまう華々しい活躍が描かれている箇所であるが、後半の記事においてはサウルによって命じられた誓いに端を発する、ヨナタンと民の罪についての、重…

サウルの罷免――神の計画と自由意思

サムエル第一13章において、サウルはサムエルを待ちきれずに全焼のいけにえをささげてしまった。この罪が原因で、サウルは自分の王国が立たないということを宣告された。最終的には、15章において王位から退けられたことがはっきりと宣言される。 ところで、…

中風の人のいやしにおけるイエス様の質問は何を意味するか?

マタイ9:1からの中風の人の癒しについて。 イエスは、律法学者たちに対する質問として、中風の人に「あなたの罪は赦された」と言うのと、「起きて歩け」と言うのと、どちらが易しいか、と尋ねた。 【新改訳改訂第3版】 マタ 9:1 イエスは舟に乗って湖を…

祭りは三つか、七つか?

『みことば』2013年10月号に、長谷川伸一兄の「ヨハネの福音書七章 『仮庵の祭り』での真実の証」という記事が掲載されている。 この中で、「主の例祭」は七つであると書かれている。 「仮庵の祭り」は、イスラエル人に対して守るように神が命じられた…

三千人救われた記事は福音集会で用いるのに適切か?

福音集会において、使徒2章の「一日のうちに三千人ほどが弟子に加えられた」記事が引かれることがある。この記事を通して、「福音には力がある」ということが話される。しかし、私は常々、それが福音集会における話として適切かどうか疑問に思っている。 も…

聖書ギリシャ語入門

ちょっとずつですが、聖書ギリシャ語(コイネーギリシャ語)の勉強をしています。夏休みも終わるので、また勉強のブランクが空いてしまうかもしれませんが。 今使っている教科書は購入した順番としては三番目になります。前の二つでは実は途中で挫折してしま…

おすすめ注解書

マタイの福音書 (ティンデル聖書注解)作者: R・T・フランス,山口昇出版社/メーカー: いのちのことば社発売日: 2010/12/25メディア: 単行本 クリック: 2回この商品を含むブログ (2件) を見る [1985→2011] 福音派のスタンダードな注解、ティンデル聖書注解シ…

三位一体という用語は正しいか?

三位一体はカトリックにおいてもプロテスタントにおいても正統的な教義として認められている。しかし、その教義の意味するところは必ずしも判明ではないように思われる。三位一体に反対するような異端の教義を概観すると、確かに、それらの異端の教義は誤り…

クリスチャンの社会的・政治的活動について

まとまった議論にはならないのでメモ程度に書いておく。 クリスチャンの社会参加というものについてどう考えるのか、というのは大学生くらいの時から私にとってそれなりに大きな問題である。クリスチャンのなすべきことというのは、基本的には聖書に基づいた…

集会の本分を見失わないこと

新約聖書のギリシア語作者: ウィリアムバークレー,William Barclay,滝沢陽一出版社/メーカー: 日本キリスト教団出版局発売日: 2010/01メディア: 単行本この商品を含むブログを見る [1964発行→2009訳] コイネー・ギリシャ語の勉強に苦戦しつつも少しでもギリ…

死者のゆえに受けるバプテスマ

コリント第一の手紙に出てくる以下の箇所について書きます。「死者のゆえのバプテスマ」とはなんでしょうか。Ⅰコリ 15:29 もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないの…

実はたましい

ギリシャ語の「プシキー(プシュケー)」はたましいという意味ですが(ちなみに私は織田昭氏にならって霊とたましいには厳然とした区別があると考えます)、日本語訳聖書では原語で「プシキー」と書いてあるところを「たましい」以外のことばで訳していると…

パン菓子

過越しの祭りのとき、種を入れないパンを食べますが、出エジプト12章でイスラエルがそれを作ったところは「パン菓子」を作ったと書いてあります。出 12:39 彼らはエジプトから携えて来た練り粉を焼いて、パン種の入れてないパン菓子を作った。それには、パン…

ロバ

聖書の中にはロバがよく出てきますが、ロバが象徴しているものは文脈によって異なります。出エジプト記でイスラエルがエジプトを出る際に、初子をささげなさいという命令が出てきます。家畜に初めての子供が生まれて、それが雄だったら、その子供は神様にい…

苦い

聖書にはよく没薬が出てきます。マタイの福音書で東方の博士たちがイエス様にささげた宝物の一つが没薬でしたし、マルコの福音書では十字架にかけられたイエス様が飲まされようとしたのが没薬を混ぜたぶどう酒でした。ヨハネの福音書ではイエス様の埋葬のと…

ブログ開始

ブログを開設してみたものの、何を書こうか迷っていましたが、聖書研究のメモ的なものを書いてみようかと思います。 アウトプットしながらの方がモチベーションが上がるような気がするので。